早朝を襲った揺れ
現在から約30年と7ヶ月前に何が起こったか知っていますか?
それは、阪神・淡路大震災です。
平成7年(1995年)1月17日(火)午前5時46分、淡路島北部を震源地とする地震が発生しました。東北地方から九州地方まで広い範囲で揺れ、国内で史上初めてとなる「震度7」を記録しました。
地震発生当時は震度6と報道されていましたが、地震発生後、現地調査で神戸市三宮や淡路島北淡町等で震度7に達することが明らかとなりました。そして、被害地域を中心としてより詳細な現地調査を行った結果、震度7に達している地域が神戸市須磨区から西宮市・宝塚市にかけて東西に帯状に分布していることが分かりました。

阪神・淡路大震災の被害
倒壊での死と孤独死
この災害による死者は6434人とされ、負傷者は4万3792人にのぼります。住宅被害は63万棟になります。その中でも、全壊と判断されたのは10万4906棟です。亡くなった人のほとんどが家屋の倒壊や家具などの転倒によるものでした。
また、時間がたってから疲労やストレスで亡くなる方も多くいました。自力で住宅を確保するのが難しい人のため、災害復興住宅と呼ばれる公営住宅が建てられました。こうした中、誰にもみとられずに死亡した、いわゆる「孤独死」が相次ぎました。
大規模火災
住宅が密集する神戸市長田区では大規模な火災が起きました。市内各地で火災が同時に発生する中で、地震によって水道管が被害を受けたことなどから放水用の水の確保が困難となり、延焼が拡大する一因になりました。道路や鉄道といった交通網は断絶され、ガスや電気、電話といったライフラインも被害を受けました。
この火災での全焼は7036棟になります。火災の原因としては主に電気火災とされています。地震発生時は早朝ということもあり電気やガスを使っている家庭が多くありました、地震の影響で停電し電気やガスの電源がオンになっていることを忘れて避難してしまいます。そして、電気やガスの復旧に伴う火災が初期消火されず延焼したとされています。

阪神・淡路大震災からの教訓
建物の耐震化
平成7年には「建築物の耐震改修の促進に関する法律」(耐震改修促進法)が制定され、多くの人が利用する特定建築物について、耐震診断や耐震補強工事等の改修が努力義務となりました。また、震災で多くの道路・鉄道・港湾が被害を受けたことを踏まえて、公共土木施設の検査や、首都圏の高速道路や東海道新幹線の高架橋等の耐震補強工事も実施されました。
8段階から10段階へ
この震災前の震度階級は、震度0から震度7の8段階とされていました。震度0から震度6までは体感等により震度観測を行うこととしていましたが、震度7については現地調査により決定するものとなっていました。
震災後は、震度階級を改正し現在の震度5・6が、それぞれ5弱・5強、6弱・6強に分けられ10段階で表すようになりました。また、震度7も計測震度計で速報できるようになりました。
家具の固定
阪神・淡路大震災の人的被害は、「圧死・窒息死」が大半を占めました。多くは住宅の倒壊によるものですが、家具の転倒によるケースもあり、この震災をきっかけに「家具の固定」が推奨されるようになりました。
自助・共助
公助が困難な中、自助・共助の重要性が認識されるようになったのもこの震災からでした。阪神・淡路大震災では、倒壊した建物から救出され生き延びることができた人の約8割が家族や近所の住民等によって救出されたという調査結果があります。行政機関が麻痺している中で、自助や共助で多くの人が助かっていることは今後の大きな教訓となっています。
ボランティア元年
阪神・淡路大震災では、多くのボランティアが被災地に駆けつけ、救援・復旧に貢献しました。ボランティアの経験がない学生や社会人も多く参加し、行政を補完する重要な役割を果たしたことから、以降の災害でもボランティアの存在は欠かせないものになっていきます。
こうしたことから、平成7年は「ボランティア元年」とも言われています。
まとめ
阪神・淡路大震災では国内で初めて震度7を観測する地震でした。この地震による建物の倒壊や家具の転倒で命を落とした人がたくさんいます。さらに、電気やガスの復旧に伴う火災が原因で大規模な火災へとつながりました。
ただ、日本の防災を大きく前進させる出来事となりました。新しい法律や計測の仕方が誕生しました。他にも住民達の手で人を救っていたという事実も残っています。
このような過去からの経験を生かして2度目は迅速に対応できる防災を行っていくべきです。



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